ニュークリア・エイジ ティム・オブライエン
あれは確か小学校の高学年の頃、僕は大阪の中心街へ行く事を怖がっていた。中心街たる梅田に向かう阪急電車に乗りながら、原子爆弾がもし、今大阪の上空で炸裂したら絶対に助からないと思って震えていた。その頃は世界は米ソ冷戦のまっただ中だったし、学校では、戦争恐怖症というトラウマを植え込まんと必死になっている教師達が、核の恐ろしさを事あるごとに僕らにたたき込んでいた。だから暗い部分が大きく誇張されて(あるいは本当に暗い)当時放送されていたそういったニュースを進んで見ていたし、タイトルは軒並み忘れてしまったけれど、図書館にあった本は反戦色が色濃く出た童話や寓話のたぐいのものが多かった。そして漫画は唯一「はだしのゲン」があるのみだったと思う。今思えばすごい教育方針だった。
だから、この本の主役である、ピンポン台と鉛筆でシェルターを作るウィリアムの気持ちに、すうっと磁石が吸い付くように僕の気持ちは張り付いた。翻訳を行った村上春樹氏はどの キャラクターにも不思議なほどに感情移入が出来ないと書いてあったが、僕と同じ学校を出た人たちはおそらく主役のウィリアムには出来るんじゃないかなと思う。でもこの本はあの、「反戦図書館」にあった(読まされてきた)反戦小説とは違っている。この本はその時代をまるごと生で生きていた人、巻き込まれた人にしか書けない特別な一冊だった。ここに書かれてあるのはなんとか、個人のレベルを超えて、その世代が失った丸ごと全てのものを書こうという試みだった。薄っぺらい事しか言えないが、どういう風にしてその世代によって世界が定義され、それから損なわれて来たかを読む事が出来る。
太く長い本だけれど一気に読める。一回も休憩を挟む事なく読み終えた。終わりまで来て、ひとしきり泣いてから、落ち着きを取り戻すために随分かかったの覚えている。足下がぐらついていたのも覚えている。次の日に学校へ行って誰かが僕の名前を呼んでくれるまで体の震えがやむ事がなかったのも覚えている。これは本当にすごい小説だった。
僕にはベトナム戦争時の細かい単語の意味が分からないので、本の後ろについている訳注が非常にありがたかった。この本を読んでいた頃はまだ海外文学を読み始めたばかりだったので、アメリカの小説には必須の「ベトナム単語」を僕はこの本で多く学習した。そしてそれと同じぐらい、この本を開き感動的なラストのページを読んだ。狂っている現実から背を向けファンタジーを信じきる、ここの文章がとてつもなく好きなのだ。