本屋をはじめる話

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これは、結婚してこの町に引っ越してきた時に撮影した写真。
(古いのでボケてます)

 僕らは結婚式もパーティーもしなかったので、近しい人以外は誰も結婚したことを知らない。それはよろしくないだろうということで「結婚しました」はがきにして送った写真。撮る時にお互い好きなものを持って映ろうということになり、僕は本を選び、妻は編み物道具を持った。当時、どちらもそれとは関係ない仕事をしていて、その二つは夢とか余暇みたいなものだった。僕らはぎりぎり20代、自分たちは十分若くて、人生がまだどのようにも変わりうると思っていたけれど、もうそこまでチャンスは多くはないんじゃないかとも思っていた頃だ。

今、この写真を見返すと、我々にとって印象的なものになっている。これが結婚記念の写真だったということはもちろんあるけれど、僕らはこの持っているものをきちんと仕事にしようと(した)している。

 仕事になったのは彼女の編み物の方が先だ。彼女が編み物にハマり、誘われたイベントに作品を作って出店していた。やがて編み物店でも働き始め、ぐいぐいと編み物方面に寄っていき、子供が生まれた。そこで時間の融通が利き、家でもできる仕事をしたいということになり、編み物教室を始めた。「編み物なんてどこででもやったらいい、なんなら玄関でやってもいい」。これは妻が働いていたAvrilの初代社長のお言葉で、糸と針さえあれば、編み物は別にどこでもできるよねということ。「おしゃれ」にやる必要もない(むろん、おしゃれでもいい)という教えだった。

運よく生徒さんが順調に来てくれて、これ以上家では限界がきたので、どこか別の場所で教室をやった方が良いのではという事になり(マンション規約にも触れそうになっていたという事もある)大山崎町で場所を借りた。今では、ご存じ「プオルッカさんの編み物教室/プオルッカミル」として店舗を運営しつつ、日々レッスンをしている。

 それから7年ほどの時間が過ぎた。お店を立ち上げても、僕は変わらず本とは関係ない仕事をし続けていた。まるで閉じこもるように。過保護気味の子育ても終わりが見えず、何足あるねんという、わらじを履き過ぎて、かなり疲れたというのもある。とにかく時間がなくて、少々病んでいたこともある。やりがいをあまり感じない仕事をし続けるのには、僕は野心が大きすぎて、細かい事に繊細すぎた。長年の我慢であちこちヒビが入り、間接部分は外れかけ、燃料は枯渇寸前だった。

 その生活の中で、歯を食いしばるように再び小説を書くようになった。ここ数年ぐらいからか。中断と再開の繰り返し。大事な事への取り組みの遅さ。ある時、パソコンを前にすると、何も浮かばないというか、頭が真っ白になった。すがるように小説家になったという人の話をたくさん読んだが、そのどれもが自分とは違っていた。感心して一時的なやる気は起きるが、そこまで役にはたたない。

 でもある日、また突然、書けるようになった。書けるようになったのは、瞬間的に主役の名前が浮かぶようになったから。あんなにダメだったのに不思議だなと思う。今も思いついたアイデアが進むかどうかは、この一瞬の判断に依存している。主役の名前が浮かべば、後はうまく運ぶ。浮かばなければダメ。

僕は周りの人から文章が書ける人ということになっているが、才能があるわけでもなく、むしろ元々書くのは苦手(そもそも感情を表すのが苦手)だ。今はどんな文章依頼が来ても、全くビビらなくなったし、むしろ任せて欲しいと感じる。でもそう思うには、それなりの人生経験と現実的に大量の「読書」が必要だったと思う。

 さて、本屋の話だった。今度、本屋をやることにした。妻のお店の1Fを改装して、そこで本屋をすることにした。ずっと一緒にお店をやってくれていた「tocoha flower」さんが独立するという話になり、空いた後をどうするかと考えた時、「ここを本屋にするのはどう? で、もういい加減、ちーたん(僕です)がやれば?」そう言ったのはもちろん妻だ。

大山崎町には本屋がないし、それは良い考えだと思った。小説で名前が浮かぶのと同じく、そう思ったのは一瞬だ。「プオルッカミル・ブックス(仮)」。いいね、実にいい。我々ペアは、細かい事はおおむね僕が決めるが、最も重要な考えは、運気ごと彼女が持ってくる。
 
個人で本屋をやることは、かつては不可能だった。流通の関係で無理だった。かなりの資本がないと始められない。でも状況が少し変わった。出版社によっては、買い切り前提であれば仕入れが可能になった。それなら別に、他の業種と同じだ。既に取り扱いのある毛糸と変わらない。もちろん限界はあるが出来ないことはない。

 本が売れないという話は嫌というほど聞く、確かに電車の中で本を読む人はほんとに少なくなった。みんなスマホだ。大納言みたいに目の前にスマホを掲げている。本を開いているのは車両の中にせいぜい一人か、二人見かける程度。僕だって最近は購入速度が落ちてきた。忙しさにひっぱられる、どうしても現実が気になる。特にフィクションを読むのが難しい。それでも、たくさん本を買ってきた。数えたことはないけれど家に小説だけでも1000冊ぐらいはあるだろう。凄くはないがそれなりの量だ。

 お店では、大きな本屋みたいに新刊をたくさん並べる事は出来ないと思う。その代わり自分たちが良いと思える本を一冊ずつ丁寧に扱いたい。それを必要な人に、興味のある人に届けること、そんな場所が良い。イベントもやってみたい。例えば「シェイクスピアを全巻読み倒す会」とか「溺愛短編小説を押し付ける日」とか「K-POPを歴史ごと語る夜」とか。

それでいて僕と妻と息子の3人で暮らしていきたい、そして何とか創作する時間を得たい。それが今思っている事。個人的でささやかな願いだとも思えるし、贅沢な望みだと思える気もする。うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。

 定職の仕事をやめるわけだから、葛藤や不安がないかと言われると「ある」としか言いようがない。ただ本を目の前にすると、幸せな気持ちになる。本が並ぶ棚の前では、僕は無防備な顔になる、不安がなくなる。これから出版される本のリストを見ると、どんな内容なんだろうかと心が躍る。その確かな感情が決め手だ。僕はぐいぐい回復する。僕と妻がやる本屋は、そこにある本がどこよりも輝いて見えて欲しいと思う。

 本屋としてスタートを予定しているのは秋頃、早ければ9月1日から。知っての通り、とても小さいお店だけれど、なんとか素敵な場所にしよう、なんとか、お金のやり繰りをしよう。

本屋の先輩である、長谷川書店のハセさんは「本屋は人が集まる場所だよ」というアドバイスをくれた。そうなんだと思う。本はいつだって最高のままだから、あとは場所と人だけがんばればいい。そして何人かに一人ぐらいは、多少シャイでプレッシャーに弱い店員に目をつぶって、「ちょっと辺鄙だけど、あそこ面白いんだよね」なんて言ってくれて、本と糸があるうちの店を気に入ってくれると、とても嬉しい。

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