ファイトクラブ チャック・パラニューク

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デヴィッド・フィンチャーの映画「ファイトクラブ」が公開された時、劇場にはってあるポスターが何枚も盗難にあった。それもブラッド・ピットの部分だけを切り抜いていくのである。おかげで残されたエドワードノートンが恨めしそうにひらひらと取り残される事になった。その悲しそうなエドワード・ノートンはファイトクラブのキャラクターと何となくシンクロしていた。ロボットみたいで生気がなく、ただそこに納まっている欠けた人間として。

 

小説バージョンというか原作の「ファイトクラブ」は、先に映画をみてから読み始めた。映画が素晴らしかったの で、見終わってからすぐに本屋に行き、買ってそのまま読みはじめた。正直いってあまり期待はしていなかったのが、簡潔なスタッカートをきざんでいくような文章が、切れ味するどく、ぐいぐいとストーリーに引き込ませる。小説のほうが細かく描ける分、話の意図が分かりやすいが、僕は映画のダイナミックなラストも好きだ。どちらも甲乙つけがたい。大抵、原作のある映画は小説に勝つ事がないだけにこれは珍しい事だった。互角といっていい。もちろんチャック・パラニュークの書く小説が映画ぽい事もあるけれど。

 

チャック・パラニューク本人は小説のような扇動家でもリベラルでもなんでもなく、エコロジーを愛し、ボランティアを積極的にするような男であるらしい。それを聞いてファイトクラブがあれほど危険で扇動的な内容なのに、どうして読むと気持ちが良くなるのか、何となく合点がいった。彼らは暴力を使い、法律を破るが、「ファイトクラブ」は世界のおかしさを強烈に皮肉る、正しい倫理の小説なのだと思う。

 

その後、墜落する飛行機のブラックボックスに新興宗教がらみのこれまでの半生を語るという「サバイバー」という次作も読んだが、これもかなり面白かった。 映画化の予定があったらしいが、内容が内容なだけに9.11事件によって、その企画は中止されてしまったようである。残念だ。

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