小説作法 スティーヴン・キング

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かつては、メジャー過ぎるスティーヴン・キングが好きだと大っぴらに言って回るのはなんか抵抗があった。大学の頃に同じゼミの人と海外文学について、議論というか軽く言い合う事があったのを思い出す。互いにどこかで読んだそれっぽい理論をさも自分が考えたように披露して、読んだけれど実は全然頭に入っていない古典の引用をして牽制しあっていた。その話の流れで今、何を読んでいるの?という話になって、汗がたらりと出た。

 

なにしろその時僕の鞄に入っていたのがキングの「IT」と、何故か新井素子の小説だったので(すごい組み合わせだ)何となく見せづらいものがあった。それまでジャン・コクトーがどうのとかジェイムス・ジョイスがどうのと力んで語っていただけに、いささかバツが悪い。

 

彼が、アーヴィングぐらいを出してくるなら「しのげる」と思ったが、まるで甘かった。鞄に手を突っ込み、白いグリッドの上に赤と青のペンキが数滴落ちて汚れてしまったようなカバーの文庫本を出してきた。それを見た瞬間、僕はまずいと思った。それは間違いなくカポーティーの「冷血」だ。ポーカーで言えばおそらくストレートフラッシュぐらいの手札に値する。だが、対する僕の手札はその2冊だけだ。ここまで来ては「ブラフ」でしのぐわけにはいかない。仕方なく 「IT」をさらりと見せてすぐに鞄にしまった。彼は「ふーん」と勝ち誇ったようになって、話はそれっきりになった。僕は敗北した。キングではダメだった。 ちくしょう、やけくそで新井素子にしておくべきだったか。

 

それはさておき、フォローするわけではないけれどキングの小説は面白い(新井素子も面白いですよ)。どうしようもなく面白いので新刊が出ると読んでしまう。もうだいぶ年を取ったので、へんなミエはなくなったから、本にカバーがついてなくても、いつでもどこでもさらっと読める。思い返せばその時、「IT」 がどれほど面白いか力説すべきだった、でもそうするとドツボにはまりそうなので、やめておいて正解だったろうが、ちょっと後悔している。2冊を単に優劣の比較はできないが、僕は「冷血」よりも「IT」と方が話とか全然忘れていないのだ。

 

この「小説作法」はタイトル通り、スティーヴン・キングがどういう風に小説を書いているか(書いてきたか)について書いている本でもあるが、How toというよりも自伝に近い。小説家の人生は、小説の中にあるとは思うけれど、好きな作家であればやはりその辺のところは興味がある。ミラン・クンデラがどこかで言っていたように、小説が書かれた経緯や発想の源を知る事は、その小説のイメージが固定化されてしまい、小説自体を決定的に損なう怖れがあるから難しいところだ。でも、この本に関してはそんな事は全然なかった。スティーヴン・キングが どれほど本と家族を愛しているかについて知る事が出来て、前よりキングの小説が読みたくなった。ふと、完全にホラー作品になっていたキューブリック映画の「シャイニング」が気に入らなくて、キングが自分で新しく映画を作ったエピソードを思い出した。キングはとても家族を大事にするお父さんでもあるのだ。そうそう特典として、 もし希望するならこの本の中でキングの文章レッスンを受ける事も出来る。かなりお得である。

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