グレートギャツビー スコット・フィッジェラルド

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村上春樹氏がいなければ、これほど日本で知られる事がなかったのは確実な「グレートギャツビー」。その村上氏の訳を読み終えてまず思ったのが「こんなに面白かったっけ?」であった。村上さんのエッセイや本の中で、ギャツビーについては散々出てくるのだが、前に大貫さんの翻訳した角川文庫のものを読んだ時には、正直言って何故それほど絶賛しているのか分からなかった。ようやく新訳を読んでこの小説がどれほどすごい小説か理解したということである。

以前、僕が持っていたこの本のあらすじは、単に都会に出てきた男が都会に幻滅して田舎に帰っていくだけの話だと思っていたのだが、どうやら、かつての僕の読み方が完全にポイントから外れてしまっていたらしい。あらすじとしてはそうなのだが、そういう読み方だけでは半分も読めていない事になる。もちろん翻訳のせい だけではないが、村上さんの読んでいたギャツビーと僕の読んでいたギャツビーは違う本だったということになる。それほど訳は大事なのだ。
愛蔵版 グレート・ギャツビー

 

あとがきにも書いてあったが、この小説は書き出しとラストの部分が文学史に残る名文で、村上さんがどういう風に訳すのか興味があったが、意外にもとてもシンプルな訳文だった。「映像の世紀」第3集「それはマンハッタンから始まった」で引用されていたような重厚な言い回しの印象が強かったのでそう思ったのかも知れない。部分だけなら以前の文庫ででているもののほうがかっこいいが、小説のリズムを最初から最後まで守り通していたように思う。

 

アメリカの小説を読んでいてよく困ることに地名と場所がわからないというものがあるが、愛蔵版の方には特性の地図が入っている。これを横に置いて、ニック達が繰り広げる騒ぎを追っていくのは至福の時間だった。

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