映画制作をもう一度

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これは、深夜に一人でぶつぶつ、つぶやいているようなタイプの文章。
書いている今は本当に深夜だし、ほとんど独白のようなもので、物書きの端くれとしては、あまり褒められたものではない。

 

たぶんこういうのは、黙っておいた方がいいかもしれない。でも書いてしまって自分の頭から外に追いやってしまいたいと思っている。書くことで何かしら整理がつくものだから、一度、頭の外に追いやってしまいたいんだ。

これは、小説を書くようになって得られた利点の一つだ。困ったら書いて、お話にして、自分から追い出してしまえばいい。書いた事はどこか自分の知らないところに行ってしまう。たとえブログやノートに残ってしまっても、誰かが書いた、他人のもののようになる。だからここは一つ、追い出してしまうことにする。では、先に進もう。

 

今から、だいたい12年ぐらい前、それまでやっていた自主映画の制作をばったりやめてしまった。
自分の意志でやめるとハッキリ決めたわけではなく、ただやらなくなった。最後の作品を撮影した後に。

 

もちろん、これはよくある話で、もっと他の現実的で切実なこと(例えば仕事や、お金、結婚)に対処する必要があったから、やめざるを得なかったと言い訳したが、その時からはっきり分かっていたことがある。

 

頭の中の映像が、ずっと僕の中に残ってしまうんだろうな、という事が。

 

最後の作品は「夜の感覚」という88分の作品だ。全編8mmで撮影。失踪した友人を追って湖まで行く話だった。大学のサークルの後輩や先輩に協力してもらい、アルバイトをしながら24歳から4年ぐらい断続的に撮影して、なんとか30歳になるまでに編集と音入れを終えた。

 

制作中、しんどかったという意識はなかったが、未熟でうまく作る事ができなかった。やればやるほど孤独を感じ、辛くなって、映画に対する意欲にとどめを刺してしまった作品だ。全力を尽くそうとしたが、空回りした。素晴らしい絵が撮れたシーンもあったが、シナリオ上で痛恨のミスを犯していて、それを修正することができず、自信を失くし、ひたすら引きづられた。参加してくれた人にも迷惑をかけた。その辺りはとても悔いが残っている。

 

それでも、作り終えたら、次の作品を撮ろうと思っていた。組み込めなかった別の像が頭の中にずっとあったからだ。
他の人がどういう感覚で映画制作をやっているのかは分からないが、僕の場合は、日々特定のシーンのイメージが散発的に頭をよぎるタイプだ。それを蓄積させ、組み合わせて映画を作る。

 

ご飯を食べたり、電車に乗ったりしているときに、ふいにイメージがよぎる。セリフ一行のことも、まとまったシーンのこともある。それを集めるのが楽しかった。それが僕の映画作りだった。

 

制作を止めてからも、イメージは断続的に現れた。解除できない呪いみたいなものと言ってもいい。もう映画は辞めて終わった事なんだと見ないフリをして、それがもう10年近く続いた。

そして僕は来年でもう40歳になろうとしている。

 

正直に言うと、映画自体が本当に嫌いだった時期もかなりある。
学生時代に、年間200本は見ていた映画を、映画制作を止めてからまったく見なくなった。
映画の話もしなくなった。映画は過去のものとなった。僕は迷子になった。

 

変わったきっけは、なんだろう。なんだったかな。
そうだ、たぶん自己を見つめるという本があって、丸円を書いて、円にそって自分が何をしたいのか直感的に書いていくということをやったからだ。
そうしたら、円の中に「友人と短編映画を作る」と書いてしまった。

 

書いてから、その文字の意味を考えた。

 

僕は才能で悩んだことは一度もない、昔から自分が天才だと思っていた。特に映像においては。

 

僕の言う天才は、人並みはずれた能力を持ち、卓越した作品を残すという意味ではなく、もっとシンプルに「生まれながらに感覚がある」ということだ。

 

天才とはそういうものだ。そう人に言うと、それは違うんじゃないと批判を受けるが、僕にとって天才とはそれだけの存在だ。才能の量などどうでもいい。あるかないかだけの話で。

 

だから悩んだ事はない。僕はある。

 

最近のデジタル機器の進化、カメラの能力の格段の進歩。

ミラーレス一眼カメラで撮った映像のクオリティに驚いた。

これなら、僕のような素人(予算僅少)でもある程度のレベルの画が撮れる。世界中でこういうのが撮影されている思うと、泣けてきた。いくつも見ているうちに本当に泣いた。あまりに素晴らしかったからだ。くっきりとしたスロー。ライトなしでも、夜間でも撮影できる。フォーカスのボケ具合がコントロールできる。

 


 

映画の主要3要素は「シナリオ」「ロケ地」、そして「機材」だ。
8mmではどうしようもなかった「機材」において、プロレベルでなくても、最高に近いものをつかうことができる。その可能性に心から嬉しくなった。

 

そうして、昨年から漠然と映画のシナリオを考え始めた。今度は濃い色を使いたい。風船を大量に飛ばしたい、紙の人形を使おうか。あるいは森の中で多重合成をやってみたい。そんな想像と妄想を繰り返す。

 

そして、つい先日、地元の集まりで、たまたま映像の話が出た。街を盛り上げるために、街を舞台に映画を作ってみてはどうかという話だ。

 

僕がそこで驚いたのは想像してもらえるだろうか。
生まれて初めて、チャンスというものがくっきりと形になって目の前にあるのが見えた。

 

少しだけ躊躇し、覚悟して僕は言った「実はむかし映画を撮っていました、だから撮影はできます」。

 

そして、過去は終わって、現在になった。

 

映画制作をもう一度やってみようと思う。

 

欲しいカメラ その1 まぁ高いです・・。
 

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コメント

  1. 中村佳太 より:

    全力でご一緒させていただきます。

  2. kazunkir kazunkir より:

    佳太さま
    ぜひぜひご一緒ください。
    たっぷり楽しみましょう!

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