Xのアーチ スティーブ・エリクソン
この小説を初めて読んだ時は、まずその世界の壮大さに「がつん」と来たものだった。当時なんとなくブームだった「癒し」という言葉に辟易していたとき、これを読んで溜飲を下げる気持ちだった。この小説の内包する暴力性やらドライブ感やら、戻れない橋をがんがん炎上させて渡っていくような愛やらに影響を受けて、読んだ日は興奮して眠れなかった。何にも起こらないけどなんかいいよねという「なんちゃってミニマリズム」を信奉している連中の目の前に、たたきつけてやりたいと思える素晴らしい内容だったのだ。
最近読み返してみたのだけれど、愛と奴隷という大きなテーマに隠れてはいるが、ときおり、出てくるこの本の隠れテーマ「アメリカ」という言葉の意味が15年前に読んだ時よりもずっと意味を増していた。9.11の事件もあったしどうやら、僕はまだこの小説にはまだまだ奥深さがあったようなのだ。
エリクソンがこの小説で描いた、愛と自由が両立せず、敵対する中で接近と反発を繰りかえすスパイラルのような想念は、アメリカの国が生まれた時から既に、解決不可能なほどに深くすり込まれ、最初から根をはっていた事を教えてくれる。
第3代大統領になる(はずの)トマス・ジェファソンが、自ら反対した奴隷を所有していたという歴史的な矛盾は、200年近く過ぎた今でも、そのまま現実のアメリカがとってきた対外的な政策(例えば対アフガニスタンや対イラク)にまで影響を及ぼしているように思えてくる。
今、読むとおよそハッピーエンドが見えなかった「Xのアーチ」が、なんだかまるで、まだ現実世界で続いてるようにさえ感じられるのである。間違いなく、エリクソンはそこまで分かっていて書いていたのだ。「アメリカ」という言葉の印象が大きく変わってしまった現在になって、ようやくそれを理解したということだ。当時はこんな事は分からなかった。僕はもっとわかりやすい個人的な愛や自由がどれほど世界を決定的に、なおかつ壮大に変えてしまうかということだけを、この本から取り出して考えていたみたいだ。
この本を頭に浮かべると、本の中の文字の一つ一つが生き物のように動き始め、その意味を包括したまま、まとめてエネルギーとして僕めがけて迫ってくるように感じる。エリクソン風に言えば、そこで黒い光を放ちながら書棚の他の本を威圧している。僕は、はっきり言ってこの本を畏れている。それはまるでバッターボックスに立つ不動の四番バッターの気迫に押され、投げるコースを見つけられないでいるピッチャーのようなのだ。