4月になると、ここへきて(前編)

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4月、春。

4月になると、ここへきて。

それは菊池桃子の歌「卒業 -GRADUATION」だ。
最近というか、昨年の夏ごろからやたら口ずさんでいるこの歌。「4月になるとーここへきてー」はちょうど歌のサビの部分にあたる。このサビを僕はやたらめったら歌ってきた。

そもそも昔から歌を歌うのが好きで、例えば小学校の遠足なんかで遠出するときに、しおりに載っている歌をずっと一人で歌っていたような子供だった。

日常でも自転車に乗っている時や、ただ単に歩いて通学している時、電車に乗っている時も、あまつさえ誰かと話をしている時でさえ、つい歌う。家でも外でもどこでも。

その癖が全然抜けなくて今でもよく歌う。道ですれ違っていた人に、こないだ笑顔で自転車乗っていたねなどと言われるが、それは違う。

それはたぶんサビにさしかかっていて、口を大きく開けただけだ。

いつでも楽しそうだねと言われたこともある。表情が。それも違う。
それも、ただサビだっただけだ。むしろサビの髙いキーが出なくて、心はたいへん悲しんでいる事が多い。

そして、その遺伝は息子にも伝わったらしく、息子もよく歌う。彼がお腹の中にいるとき、胎教と称して大きくなった妻のお腹にビーチーボーイズの「Please let me wonder」を、山下達郎ばりのファルセットできかせたのが効いたのか。

そして彼が2歳、3歳となり、一緒に公園に遊びに行く時ややスーパーに買い物に行く時など、僕と息子は二人乗りの自転車にのって二人で歌っている。

歌うのはそれぞれ別の歌。僕が菊池桃子だとすれば、彼は仮面ライダーの歌(意外と難しい歌)といった具合に。

デュエットのようで一見ほほえましいが、時々後ろから「ちーたん(僕のこと)歌わんとって」と後ろから言ってくる。
どうも僕の美声で彼の音程が狂うようだ。だからどちらかというと僕らはもはやライバルと言える。歌わせろーと叫ぶ僕。

そして、そんな息子は最近保育園に落ちた。第一希望にしていた近くの保育園だけでなく、第二希望の保育園も無理だと連絡を受けた。行けるのは生活圏外で、完全に逆方向の保育園。遠いし、あそこはないなと個人的に思っていた保育園。

ちなみに去年も落ちた。去年は第一希望はNGだけど、第二希望はOKもらっていた。(結局、昨年は第一希望の保育園が気に入っていたためそこの一時保育にしていた)、今年はどこかに入れるものと思っていたから、その知らせはそれはそれは衝撃的だった。会社からの帰宅途中で頭が真っ白になり、何も考えられなくなった。一般的に年が上がるにつれて手間がかからなくなるので、子供は保育園に入りやすくなる。3歳よりも4歳の方が入りやすい。それなのにだ。

しばらくして、ふつふつと怒りの気持ちが押し寄せてきた。「しまもと○ね」のフレーズがどうしようもなく頭をよぎる。まるで息子が町から拒否されたような気持ちになる。それは簡単に抑えられる怒りではない。抑えるために持っていた傘を一個ぶっ壊したのを、ここで恥ずかしながら告白する。吼えたかもしれない。

1年、留年したのに?なんで?というのが正直な気持ちだった。すぐに入れた人もいるのも何でよ!というもの正直な所だ。
今でも少し腹が立ったままだ。自営業が不利というのは本当のことだというのも実感した。

そう、菊池桃子の歌は解放の歌だった。
次の4月になれば僕の子守り生活も終わる。ようやく自分の創作に集中できるようになる。

知り合いの間ではメジャーな話だが、うちの息子は3歳ぐらいから超かまって子であり超お父さん子だ。
つまり、かなりの「ちーたん子」で、一緒にいると遊んでーかまってくれーと言い続ける。だから一緒にいるお昼の間はメール1本打つのにもかなり苦労する。
テレビを見せたり、他の子と遊ばせたり、何か他のもので気をつって逃げを打たないとまず何もできない。

また映画作らないんですか?とかたまに言われるが、映画はまず無理だ。

4月になれば、ここへきて。僕は4月になってどこへいくのか。どこにも行けないではないか。

聞けば、今年は町の待機児童が42人はでるという、僕らのように諦めた人も含まれるからもっと多いだろう。

「しまもと○ね」という言葉が、再び飛び交う。

やさぐれた気持ちで、家に帰って緊急家族会議が開かれる。

「落ちたね」
「落ちたね」
「どうする」
「どうしよう」
「第4保育園ならいける」
「行けるな」
「・・・・」
「・・・・」
「第2幼稚園じゃない」
「第2幼稚園だ」
「決めてた?」
「うん、決めてた」

希望は旗だ。

2年前、第二幼稚園の運動会を見に行った事があった。知り合いの子が通っていて、まだ小さい息子の飛び入り参加が可能と聞いたから。

その時の空に旗がたくさん連なっていた。それが素晴らしかった。運動場を横断する形で旗が並んでいた。子供達が自分達で作った旗で、運動会をほとんど見ずに旗ばかり見ていた。

これは旗だ。我らの旗。
蒼い空と山と旗。

第2幼稚園は親に厳しい。

何でも次の入園者は20人しかいないらしい。
なにしろ朝8時30にバスに乗せれば、早い日には11時半には帰ってくる。
遅くても16時半までしか預けられない。当然弁当は持参。毎日必要。

だから幼稚園に入れながらの共働きは実質厳しい。会社員なら無理だろう。
折家のように片側自営業でも店が開けれられない日が増える。売上は減少する。生活できるだろうか。

でも、あの旗が素晴らしかった。第2幼稚園の環境は最高だ(トイレ以外)畑もあるし川もある。
息子の代で、この幼稚園の最後の園児たちになるかもしれないが、素晴らしい時間になるはずだと今は思っている。

※写真は幼稚園に入る前に砂場で絵のトレーニングをする息子。

後編へ続く
長いな・・。

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