まとう

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今、僕の目の前に座る理想の女性について話そう。

彼女は大学が運営する大きな図書館の1階から4階までの、吹き抜けに面した4階の席に座り本を読んでいる。
吹き抜けに対して席はガラス張りになっているから、彼女の座る位置からは図書館のほとんど全ての動きが見える。
彼女は文学部に所属し、専攻はイギリスの伝統的な作家、たぶんジェーン・オースティンとかそんなとこだ。
でも、今読んでいる本はJ.Dサリンジャーのナインストーリーズだ。
「ライ麦畑でつかまえて」じゃなく「ナインストーリーズ」なところが彼女が文学部たる所以であり、読書好きを思わせる。
そしてたぶん伝統的なものに対して食傷気味なことを僅かに表している。しっかりしたものを本当は読みたいけれど、今日は軽くなりたい気持ちなのだ。

彼女は本から目を話さないまま、垂れ下がってきた髪を指で耳の後ろにかき上げる。
肩の少し下まで伸びている黒い髪はきれいにそろっていて、美容院で褒められるほどのつやのある美しい流れを保っている。
読書をする時はいつも黒縁のメガネをかけているから、白い肌と黒い髪・黒いメガネのオーソドックスなコントラストの有り様に僕らはどぎまぎする。

彼女は自分が、この図書館に座り、これらの条件がもたらす、創造物としての最高の美しさを放っている事にまったく気付いていない。
まるで彼女が美術館のメインの展示物のように生命感を持ち、知らず知らず1階に到着した新たな学生達を、無意識的に4階まで誘っている。
彼女の横を通り過ぎる度に起こる、学生や図書館員達の息をのむ音が僕にはちゃんとはっきりと聴こえる。
出来ることなら、今日一日の予定をキャンセルして、彼女の横に座っていたいと真剣に考えているような音だ。

ある怖いもの知らずの若者が彼女の横の席に座る。
そして「何を読んでるの」と彼女に声をかける。
そして本を横からのぞき見て「サリンジャーだね」と若者は答える。
若者は彫りが深く、瞳は茶色で、アイロンの効いたきれいな水色のシャツを着ている。
若者は自分が男前であることを十分に自覚し、それをきっちりと嫌みなく相手に伝える知性も兼ね備えている。
もちろんサリンジャーだって読んでいる。

二人並んで座る姿は、この上ない美しき若さの象徴のように思える。
結婚式のコマーシャルに出てきそうな程の2人組の登場だ。
今会ったばかりだと言うのに、彼女は男に対してほほえみかける、男の見事な会話の楽しさに引き込まれざるを得ない。
そして、図書館中の人という人がこの男と彼女の一挙一同に注目し始める。
今度こそ、彼女の心をつかむ成功者が生れるのかもしれないという緊張感が走る。
満を持して、最大限に紳士的に、それでいて軽いトーンで男は食事を誘う。

「そうね、考えておくわ」
寒さを感じてロングコートをまとうように彼女はこの言葉をふわりと放つ。

静かな物言いでありながら、その言葉は図書館中にエコーする。
かくして、状況は美しい彫刻に男が勧誘ビラを一生懸命渡しているような滑稽な図式に変化する。
ベテランの図書館職員であれば、彼女のこの言葉の意味を知っている。
男の敗北を察知し自分の仕事に戻る。図書館は直ぐに静かなる活気を取り戻す。

日が落ちる頃に、彼女は本を閉じる。それから髪を後ろでくくる。メガネを外して入れ物にしまう。
編み込んだ帽子を深めにかぶり、コートを着る。ひとつひとつ慎重に自分を倉庫にしまうように包んで行く。
そして目の前に座る僕に声をかける。僕らは一緒に席を立ち上がる。

そう、これから家に届けるプレゼントに紐をかけるように、最後に彼女は僕をまとい家路につく。

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